2025年度支部総会・懇親会

6月29日 (日) 午前11時より名鉄グランドホテル 11階 柏の間D において、2025年度佐保会愛知支部総会、講演会および懇親会が行われました。今年は昭和32年卒から令和7年の新卒会員までの63名が、一堂に会して賑やかに行われました。

当日は真夏のような太陽の輝く晴天に恵まれ、交通も平常通り、昨年とは異なる会場でしたが、会員の皆さまにはスムーズにお集まりいただけました。

Ⅰ 総会

開会のことば、支部長のあいさつに続き、来賓のあいさつがありました。

来賓あいさつ

  奈良国立大学機構 奈良女子大学文学部長    吉田 容子 先生

 今年の総会では、奈良女子大学文学部長 吉田容子先生に来賓としてごあいさつしていただきました。
 吉田先生からは、2022年に奈良女子大学と奈良教育大学が統合されて設立された、奈良国立大学機構のご説明がありました。この機構の中での奈良女子大学の役割とその独自性についてお話しいただき、両大学の協力による教育面での相乗効果については、統合後の年数も浅いことから、結果を見るにはまだ時間が必要であるということです。
 また、奈良女子大学に2022年に新設された日本の女子大初の工学部についてもお話があり、「人と社会のための工学」を学ぶべく、大企業との協力による、ものづくりについてのより実務的な内容の学びと、新設から数年を経た中での特色ある活動が、少しずつ成果を上げつつあるということです。
 少子化により女子大が日本から減少してゆく厳しい現状の中でも、今後ますます充実し進化してゆく奈良女子大学に、大いに期待して見守っていきたいものです。

議事

 続いて以下の議事がすべて承認されました。

2024年度  庶務報告
2024年度  会計報告
2024年度  会計監査報告
2024年度  予算(案)
2024年度  役員・退任者報告

当番紹介

 今年度は、昭和60年、平成7年、平成17年、平成27年卒の皆さまにお手伝い頂きました。

その他

 支部長から奈良女子大学記念館の改修プロジェクトのため、クラウドファンディングによる寄附を募っていることが紹介され、愛知佐保会員の皆さんへの協力が呼びかけられました。

  また、講演に先立って支部長から、昨年の講演者 望月菊枝様 ご逝去のお知らせがありました。心より望月様へのお礼を申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。

Ⅱ 講演

  講演者のご紹介を、昭和55年卒の西宮由美さまにしていただきました。

 「私の在満少国民体験〜植民地での戦中戦後の生活と引揚げ」

     松下 哲子 氏 (ピースあいち語り部)   奈良女子大学 文学部国文学科  昭和32年卒

 松下哲子さんは、昭和9年に当時日本の植民地だった満州国遼寧(りょうねい)省本渓湖(ほんけいこ)市でお生まれになり、昭和21年にご家族と共に引揚げて日本国本土へお戻りになるまで、満州国でお育ちになり多感な少女時代を過ごされた、貴重なご体験を当時の満州国の地図で説明しながらお話しいただきました。
 昨年の望月さんの講演のように、日本国本土での空襲体験や、当時の厳しい生活についてお話を聞く機会はありましたが、満州での戦時下の生活について知る機会は今までほとんどなかったので、松下さんの体験談を大変興味深く聞きました。
 満州国では空襲や学徒動員などはありませんでしたが、当時の中国大陸での生活や戦争のありさまを知る貴重な機会となりました。

 松下さんは、お父様が南満州鉄道会社(満鉄)の社員だったのでご家族で満州国に住んでいました。昭和13年、4歳の時に出生地の本渓湖市から、奉天(ほうてん)(ほうてん)市(現 (しん)(しんよう)(よう)市)に移り、昭和16年に奉天の在満国民学校へ入学されました。
 奉天では満鉄の社宅で生活され、その暮らしは当時の日本の本土とは比べ物にならないほど、設備の整った近代的なもので、社宅は水道、ガス、水洗トイレが完備していました。国民学校はレンガ造りの2階建で、スチーム暖房を備え、冬はマイナス20度という極寒の中でも、快適に過ごせるものでした。のちに日本の本土に戻ってから、トイレなどの設備の違いに驚いて、カルチャーショックを覚えたそうです。
 戦時下でも、満鉄の社員家族の生活は、戦争末期の大変な時期になるまでは、比較的恵まれて安定したものでした。国民学校での楽しみは、冬の間、校庭に作ったスケートリンクでのスケートで、毎日滑って過ごされたそうです。
 一方、在満国民学校では「東亜の盟主になる」軍国教育を受けて、松下さんも軍国少女としてお育ちになりました。

 昭和19年になると、戦争の影が満州にも及び、クラスメートは本土へ引揚げて減少し、授業も少なくなったので、広い大地にヒマの種(飛行機の燃料になったヒマシ油のもと)を、蒔いて過ごしたそうです。やがて、学校の暖房も入らなくなり、コートを着て手袋のまま授業を受けました。お弁当も凍ってフタが開かず、苦労してやっと開いたお弁当の中身は、口に入れてもジャリジャリと冷たくて味気なく、とても辛かった記憶があるそうです。

 昭和20年になると戦況はますます厳しくなり、松下さんはお母様、弟さんと、ピョンヤン(現 平壌(ぴょんやん)市)の日本旅館に疎開しました。お父様とお姉様は奉天に残ったそうです。
 同年8月にピョンヤンで終戦をむかえ、その夜は河畔で盛んに花火が上がりました。当時日本の植民地だったピョンヤンで、朝鮮の人々が「万歳!(マンセー!)」と叫びながら花火を打ち上げて、解放された喜びを表現していたのです。このようなことは、当時の現地でしか経験できないことです。

 やがて、松下さん母子は旅館を追い出され、8月末に迎えに来たお父様と奉天へ戻りました。引揚げまでの奉天での日々は、以前とは異なる厳しく怖いものでした。 街は侵攻して来たソ連兵だらけ。治安は悪くなり、社宅は満鉄社員が毎晩夜警をしていました。とはいえ、終戦後のこの時期にまだ社宅に住むことができていたのは幸いだったそうです。
 しかしある夜、肩に連発銃をかけたソ連兵が、家に突然土足でやって来ました。武器がないか探しに来たそうですが、幸いすでに処分して何もなかったので、ソ連兵はすぐに出ていきました。本当に恐ろしかったそうです。

 その後、台湾の蒋介石(しょうかいせき)の国民軍、毛沢東の中国軍が次々とやって来て、治安はだいぶ良くなったようです。
 その一方で、日本から満州各地へ渡った開拓団の人々の、ボロボロの姿が、奉天で多く見られるようになりました。終戦で開拓地を追われ、命からがら逃げてきた人々でした。 街に溢れ、国民学校を宿舎にしていた開拓団の人々は、流行りの発疹チフスで大勢亡くなりました。多数の遺体を集めて運んでいく時の光景とその臭いは、忘れられない強烈な記憶として松下さんの中に残っているそうです。 また、このころに中国残留孤児が発生しました。彼らは開拓団の人々が、混乱の中で中国大陸に残してこざるを得なかった子孫なのです。

 満州国には当時、日本民族、満州族、漢民族、朝鮮族、(もう)()族の五族が共存していて、列車に乗る時には差別があり、一等車、二等車、三等車に分けて乗せられたということです。

 昭和21年になり、ようやく満鉄社員の引揚げが始まりましたが、引揚げまでの奉天での暮らしはとても辛いもので、松下さんご家族も、家財や衣服を売ってなんとか生き続けたそうです。
 同年8月ついに奉天を出発し、ご家族での長い鉄道旅の末、引揚げ拠点の港のある葫蘆(ころ)(ころとう))(へ辿り着き、引揚げ船で佐世保へ。そして8月末にお父様の故郷、熊本へ帰ってきたそうです。この時に食べた白米と焼き魚の美味しさは格別なものだった、とおっしゃっています。
 熊本に戻ってからも幼い松下さんと弟さんは、栄養失調と体中のとびひ(皮膚病)で、しばらく学校へは行けなかったそうです。

 日本人にも中国人にも、おびただしい戦争犠牲者が出ました。日本人の中国残留遺骨は今も70万あると言われています。このような犠牲者は戦争をしていなければ発生しなかったし、亡くならなくてもよいはずだった人々だった、と松下さんは力説しました。
 最後に松下さんは、戦争を二度と起こさないためには、
「自分の眼でものを見て、自分の頭で考えて、時代の流れに簡単に流されないことが大切」であり、
「平和は自分で守る、という気概がなければならない」。
そして、戦争の話を次の世代に伝えてゆくことは、本当に大切なことです、と結んでお話を終えられました。

 日本の本土が空襲にさらされていた同時期に、満州で起こっていたことを知ることは、大陸からの視点で戦争を考えさせてくれる、良い機会になりました。今世界で起こっている戦争のことも、島国的な視点からだけではなかなか理解できないものです。
 松下さん、とても興味深い貴重な体験談をありがとうございました。これからもお身体を大切にお元気で、一人でも多くの方々にこのお話を届けていただきたいと願っています。

Ⅲ 懇親会

昭和38年卒 永田道子さまのご発声による乾杯のあと、各テーブルで世代を超えた会員同士の会話に花が咲き、美味しいお料理をいただきながら、とても楽しいひと時を過ごすことができました。会の終わりに女高師の校歌をビデオで流すと、一緒に口ずさむ卒業生の方々の姿がありました。今年は令和7年卒の新会員の出席もあり、フレッシュな風を感じることもできました。

 来年は、現神戸大学教授の同窓生 井上真里様(平成4年 奈良女子大学 人間文化研究科博士課程 修了)に衣環境について講演をしていただく予定です。

 また、名駅周辺の再開発工事により来年の会場が変更となりますが、まだ確定していませんので、決まりましたら皆さまにお知らせいたします。来年の総会・懇親会にも皆さまお誘い合わせの上、どうぞご出席ください。 

 来年度の当番は、昭和61年、平成8年、平成18年、平成28年卒の皆様です。どうぞよろしくお願いいたします。