2024年度支部総会・懇親会
6月29日(土) 午前11時より、名古屋マリオットアソシアホテル ルピナスの間において、2024年度佐保会支部総会、講演会および懇親会が行われました。女高師卒から平成31年度卒まで61名が集いました。
お天気は曇りで当日の交通も平常通り、会員の皆様にはスムーズに会場までお越しいただけました。
Ⅰ 総会
開会のことば、支部長のあいさつに続き、来賓のあいさつがありました。
来賓あいさつ
奈良国立大学機構総括理事 奈良女子大学長 高田将志 先生
今年の総会では、今年度から新しく奈良国立大学機構総括理事 奈良女子大学長にご就任された、高田将志先生に来賓としてごあいさつしていただきました。高田学長は奈良女に1995年に教員としてご着任され、専攻は自然地理学、南極調査隊にも参加されたというユニークなご経歴をお持ちになっています。
学長は自己紹介のあとに、2022年に奈良女子大学と奈良教育大学が統合されてできた、奈良国立大学機構についてご説明してくださいました。この機構は、二つの大学の統合により財政等の効率化を実現し、両大学の協力による相乗効果によって、教育の充実を目指すものですが、それぞれの大学の独自性はこれまで通り保たれるとのことです。
最近の奈良女子大学で特筆すべきことは、2022年に日本の女子大では史上初の工学部が新設されたことです。その特徴は、より生活に根差した人間環境デザイン分野の充実をめざす創造的学部で、大企業からの補助と協力も得て運営されることです。また全学部の大学院や博士課程を、今までよりも柔軟でトータルな研究課程とすることで、より一層優秀な人材を輩出していきたいと、高田学長は語られていました。
学長としての姿勢については、奈良女子大学の長年の伝統と歴史をベースにその独自性を大切にしながらも、少しでもジェンダーギャップを埋め(グローバルジェンダーギャップ指数で日本の世界でのランクは2023年は125位、2024年は118位)、男女参画社会で活躍できる人材を育成すると同時に、女性の能力をさらに伸ばす教育を行っていきたいと、優しいまなざしの中にも力強いお言葉で語られていました。
今後の高田学長のご活躍と、新しく進化してゆく奈良女子大学に大いに期待したいですね。
続いて以下の議事がすべて承認されました。
2024年度 庶務報告
2024年度 会計報告
2024年度 会計監査報告
2024年度 予算(案)
2024年度 役員・退任者報告
当番紹介
今年度は、昭和59年、平成6年、平成16年、平成26年卒の皆様にお手伝いいただきました。
Ⅱ講演
「平和は宝と思いませんか」
望月菊枝 氏 (ピースあいち語り部)
奈良女子高等師範学校理科三部(生物科)昭和27年卒
望月菊枝さんは、今年の支部総会で最高齢の出席者であり、故杉本健吉画伯の長女でいらっしゃいます。名古屋の女学校時代の戦争体験を、時系列を追って生々しく、時にユーモアを交え、戦時中の生活を想像させる実物サンプルも持参されて、大変わかりやすく語ってくださいました。
1944年(昭和19年)、女学校の2年生だった望月さんは、日を追って厳しくなる戦況の下、女学校の授業もなくなり、市内の軍需工場へ勤労動員に通っていました。その後、戦争がますます激しくなり作業場は女学校に移されました。1945年(昭和20年)1月23日午後、名古屋への空襲があり、望月さんの女学校も大きな被害を受けたその時の体験はあまりに壮絶なものでした。
女学校の校庭には、防空壕として畳一帖ほどの大きさの穴が20か所も掘られて並び、その穴には上に簡易な板で蓋をされていただけでした。空襲警報が鳴り、その壕の中に避難していた女学生たちの運命は、B29のもの凄い爆音とともに一変してしまいました。
あたりが静かになって防空壕から出てきた時、望月さんの目に映った光景は、阿鼻叫喚の地獄絵と見まがうほどむごいものでした。爆撃で校庭に大きく深く空いた穴、吹き飛ばされたり直接爆撃を受けたりして変わり果てた同級生たちの姿、壊れてしまった周囲の民家や建物、、、。
そんなひどい状況の中、望月さんは幸い怪我もなく無事だったものの、42人もの同級生を一瞬にして失ってしまいました。長い時間をかけてなんとかご自宅まで歩いて帰り着きましたが、空襲直後からお父様に大声で迎えられるまでの数時間の記憶が、今でも全くないそうです。女学生だった望月さんにとって、この空襲の衝撃がどれほど大きなものだったかを思うと、言葉を失います。望月さんは校庭での被害者救助の様子を、その後先生方によって残された詳細な記録によって知ることになったそうで、記録の重要性についても言及されていました。
このような恐ろしい体験は、今の世を生きる私たちには想像もできないほど厳しいものです。今回、直接戦争や空襲を体験された望月さんのお話を聞けたことは、私たち戦争を知らない世代の人間にとっては貴重な機会となり、戦争を何としてもおこしてはならない、という思いを強く抱かせていただけました。
その後の名古屋大空襲ではついに女学校も焼失し、望月さんは瑞浪方面へクラスの仲間と一緒に疎開して、勤労作業をさらに続けたそうです。その時の大変な食糧難や、ノミやシラミとの闘いなど、苦労話もたくさんお話されました。当時のサツマイモにごくわずかのお米が張り付いたようなお弁当を、この講演のために再現して実際に見せてくださいました。
疎開中には、わずかな差し入れのお豆も食糧難のために誰かに盗られてしまうことがあったそうです。「あれは戦時中の極限の空腹状態におかれて、人間が動物としての本能に従った行動に過ぎず、盗みとは言えない。」と、望月さんが大変客観的に当時を振り返ってお話されていたことが、印象に残っています。
さらに、戦時中の言論や文化への統制、当たり前の日常生活を送れないという理不尽、犠牲にならざるを得なかった動物たちのこと、金属の供出など、お話は多岐にわたりました。そして、戦争加害者としての当時の日本のことが、あまり語られてはいない現状への疑問提示をされて、講演は終わりへと向かいます。
1945年(昭和20年)8月15日 ついに終戦。
「あかりがつくと世の中が明るくなった!」と、望月さんはとてもうれしくなったそうです。戦時中に、明るい照明の光が敵の標的にされないように使っていた灯火管制カバーをする必要が、もうなくなったからです。「あかりがつくと世の中が明るくなった!」このひとことは、やっと訪れた平和を象徴する言葉に聞こえました。望月さんは手作りの灯火管制カバーも持参されて、使い方を説明しながら見せてくださいました。
最後に、「自身の心が豊かであれば、相手を大切に思うことができる。豊かな環境に恵まれれば、あたりまえの日常生活がある。それが平和だ。」としめくくり、講演は終わりました。
望月さんのお話を聞きながら、現在もウクライナやガザで続く戦争や危うい国際情勢のことを思わずにはいられませんでした。戦争は決して過去のことではなく、私たちが「平和は宝だ」という覚悟を持って守っていかなれればならないものだ、と強く心に誓う1日となりました。
講演後に望月さんには記念の品が送られました。この貴重な戦争体験をお話ししていただいた望月さんに、あらためて感謝し、ご健康と今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
Ⅲ 懇親会
昭和34年卒 横田昌子さまのご発声による乾杯のあと、マスク装着自由となった今年の懇親会では、お料理をいただきながら各テーブルで会員同士楽しく会話が盛り上がりました。美しく盛り付けられたお料理の数々と共に楽しい時間を過ごし、心までも満たされました。
会の終わりに女高師の校歌をビデオで流すと、今年も懐かしそうに口ずさむ卒業生の方々の姿がありました。
来年は昭和32年卒の松下哲子様に講演をしていただく予定です。今年に続いて松下様に戦争体験をお話ししていただきます。来年は戦後80年。ご高齢となった戦争体験者から直接お話を聞ける機会は大変貴重です。来年の総会にも皆様お誘い合わせの上、どうぞご出席ください。
来年度の当番は、昭和60年、平成7年、平成17年、平成27年卒の皆様です。どうぞよろしくお願いいたします。







